先日このようなポストをしました。
ちょっと良いこと言おうとしたわけではなく、普段からこんなことを考えながら過ごしています。
人生は能動的に過ごさないともったいないよねって話です。
どうしてこう思うようになったかというと僕のルーツに関わっているというか、父の教育が大きく影響しています。
なんとなく半日ダラダラすることはあるけど、なんとなく半日勉強することは絶対にない。
なんとなくスマホを何時間もいじっても、なんとなく読書を何時間もしない。
なんとなく惰眠を貪っても、なんとなく部屋の片づけはしない。
キミ(中学生の化石)のしていることは、なんとなくの範疇?それともやるって決めてるの?
休むと決めてダラダラするならそれも良いし、寝ると決めて寝るならそれも良いじゃないか。
でもやると決めたら仕事も勉強もカチっとやんな。
スイッチは自分でいれなきゃなんとなく時間は過ぎていくぞって意味です。
中学高校の6年間で、父にはしょっちょう上記のような趣旨の言葉を言われていました。
今でも意識している金言です。
実は幼少期や小中学生の化石は勉強がめちゃくちゃ得意でした。
「人よりできるんだからそれで良い」と思っていましたし、なんなら「同じ授業を受けているのになんで理解できる人とできない人がいるんだろう」とまで思っていました。
しかも、特に塾に通うわけでも努力するわけでもなかったにも関わらず、自分より成績が良いのは学年に数人だったので、かえって調子に乗っていましたね笑
しかし、だらだらしている化石を見て父がよく先ほどのことをよく言っていました。
当時はなんとなーくそうだよなぁと思いながらもネチネチ勉強していました。
そして時は流れ、大学や社会人になり、なんと受動的な毎日をすごしている人が多いことか!と驚きました。もちろん、常に何かに挑戦しろとか、だらだらするなとかそんなことはまったく思っていません。
ただ、時間になったから授業や仕事に行き、夜になったから寝てまた朝が来る。
自分で選択しているはずなのにやらされているかのような立ち振る舞い。
授業だって、義務教育が終わって大学は自分の意志で通っている。(高校はさすがに自分の意志というにはまだ未熟かな)
職場だって自分で選んでいる。たった一つしかない自分という商品を売っているお客さんが務めている会社です。
いまも思うんです、
自由にのんびり生きることとただ何も考えずにのらりくらり生きることは全く違うんです。
だから、自分で選択して能動的に過ごしているものこそが人生であって、ただ受動的に過ごしているのは単なる時間だと思っています。それが今回のポストの意味です。
大局観に立って見れば、そこにあるのは成功でも失敗でもなく能動か受動かだけです。
仕事や家庭、友達との関係などいろいろな要素に忙殺される生活だとしても、「これがおれが選んだんだからな」って自分を肯定して生きています。
だから借金たくさんあっても失敗だとかネガティブには捉えないようにしています。ただの結果ですからね。
ちょっと小難しい話にはなってしまいましたが、今日も皆さん一緒に頑張っていきましょう!!
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